会津青木木綿 再現
弊社では、事務所を置く会津坂下町青木地区でかつて生産されていた
「会津青木木綿」の再現に向けた取り組みを約1年前から始めました。
地域の廃工場跡から織機を移設するところから始め、整備し、その成果として、 11月12日(土)の福島民報朝刊に、会津青木木綿復活ということで、織機修復の記事を取り上げていただきました。
この会津青木木綿の復活に向けた取り組みについてご報告致します。
このたび、福島県会津坂下町で30年ほど前まで活躍していた織り機、豊田式鉄製小幅動力織機(Y 型)を修復し、伝統ある会津青木縞を再現することに成功をいたしました。この豊田式織機は約100年前に開発され、大正時代に織元が購入したものと言われています。
400年あまり、会津の人々の暮らしに寄りそってきた布、会津木綿。会津では古くは棉を育て、自分たちが使う布を必要な分だけ自分たちで織るという文化があり、その素朴で丈夫、使い勝手のよい布は、野良着や半纏などに大切に使われ、まさに人々の“ふるさとの原風景”として古くから親しまれてきました。
なかでもここ会津坂下町では江戸時代より、藍の栽培、染めが盛んでした。近くを流れる阿賀川の氾濫が多かった青木・青津地区では、水害に強い作物として藍がそだてられ、やがて染屋が立ち並ぶようになり、大正時代には染屋が豊田式織機を導入したことにより会津木綿が織られたという歴史がありました。
「地域に根づく大切な伝統産業を次の世代に繋いで行きたい」豊田式織機修復のきっかけとなったのは、かつてその会津青木木綿を一大産業としていた会津坂下町に、時代に忘れ去られた織機が眠っていたこと。
昨年の秋ころ、織機を昔の持ち主から譲っていただけることになり、
雪で壊れそうな廃工場から運び出し、わたしたちの事務所へ移設しました。
自分たちの手でこの豊田式織機を直して、また会津木綿を織りたい。
その気持ちから新潟や米沢、桐生などさまざまな織元を訪ね、お話を伺い、織りの世界の深さと技術の高さ、また日本の伝統工芸の素晴らしさを感じながら、ひとつひとつパーツを外しては錆を落とし、油をさし直してコツコツと修理を重ねてきました。
再現にあたっては、地域に住む青木縞織り経験者にも多大なご協力を賜りました。
機械を前に、当時を思い出しながらご指導をいただき、職人の頭の中にしか存在しない会津青木木綿のレシピを享受できたことも、大きな成果です。
こうして大切に織り上げられた布たちは、きっと世代を超えて長く愛される価値があると信じています。
今の自分たちが、先人たちの技術やものづくりの熱意に感激するように、私たちが次の世代に伝えられる大切なものが、この息を吹き返した織り機から生み出される。
そんな思いをこめてふるさと会津から、今の暮らしの中に溶け込む形で、会津木綿のつぎの姿を提案していきます。